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2013.09.22、差別撤廃東京大行進(以下、東京大行進)に参加してきました。
→(関連リンク)東京大行進:「差別やめ一緒に生きよう」…新宿で訴え
http://mainichi.jp/select/news/20130923k0000m040028000c.html
せっかくの機会なので、思うところをつらつらと記録しておきます。
今回自分が参加したのは、差別撤廃だとか何とか、何かを主張する事が目的ではありませんでした。
ただ、意思表示をしたかった。
差別が無くなる事を願い、行動に移す事のできる人間が数多くいる。
という事実を、見せたかったんです。
誰にかと言えば、自分のアイデンティティに苦しむ人達に。
君達を乏しめる連中もいるけど、
それに対抗して立ち上がってくれる人達もたくさんいるんだよ、と。
何よりも、君達は、君達のままでいいんだと。
自分の話ばかりするのもアレですが、自分自身、在日韓国人という出自についてはずいぶんと悩みました。
「在日韓国人だから◯◯」といった押し付けに反発しながら、とは言え日本人ではない自分の出自を思い、
どちらともつかない宙ぶらりん状態の中で、
自分が自分である事を許されていないような、そんな気持ちになっていました。
当時も、慣れないインターネットを開けば、既に在日はひどい言われ方をしていて。
通っていた朝鮮学校にも街宣車がやってきたり、チョゴリ切り裂き事件だ何だと、小学生は頻繁に集団下校をさせられていました。
『自分(達)は拒絶されている。
何故かと言えば、どうやら祖父母や両親の下に生まれた事が悪いらしい。』
ふざけるなと憤る一方で同時に、拒絶されているという暗い感覚が、胸の奥に沈殿していきました。
涙を流し、壁を殴り、大声でわめきながら帰る通学路。今となっては、当時は色々と限界だったなと思います。苦笑
現在の環境は、当時よりも悪化しています。
インターネットの普及が進み便利になる反面、ネットはバカのオモチャになりました。
在日韓国人に対する差別的な誹謗中傷が溢れ、時には、慣れた俺でも顔をしかめてしまう程です。
ネットの外に出て、新大久保や鶴橋など、街中に現れる集団まで現れました。
今、外部からの差別や、自分のアイデンティティと戦っている子供たちは、どんな苦しみだろうと思うんです。
教えてあげたい。
誰かの存在を、出自なんて理由で乏しめる・・・日本ではそれを、「良識」とは呼ばないんだと。
他人が何を言おうと、君は君のままでいい。
そこに許すも許さないも無いんだと。
そして、それを応援してくれる味方が、たくさんいるんだと。
東京大行進の事は、メディアにも取り上げられました。
このニュースは必ず、多くの苦しんでいる人達の下に届いたでしょう。
彼らが何を思うかはわかりませんが、
誰か一人でも喜んでくれたなら、それだけで嬉しいなと思うんです。
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p.s. なんだか東京大行進の主旨を巡って、細かい主義主張のところで反発したり、だから欠席したり、という方々もいらっしゃったそうです。
それは勿論自由だし、差別問題につい て真面目に考えていただけてる事はやっぱり、素晴らしい事です。
でも俺が感謝するならやっぱり、歩いてくれた人達なのです。
歩いてる人達が何を考えてるかなんて、外からはわかりません。
今苦しんでる人々に向けて「味方がたくさんいるよ」って目に見える形で示してくれた参加者の方々と、その機会を与えてくれた運営の方々に、手が腫れるぐらいの拍手を贈りたいと思います。
長くなったのでこの辺で。
各方面へ、敬意を込めて。
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